このあとスタッフがおいしくいただきました

だめにんげんさんの墓標です。

「推す」とはなにか、「支える」とはなんなのか

AKBなんちゃらの総選挙やなんかで、推しが苦しみながら目標を達成していく姿を見てカタルシスを得るスタンスというのは残酷ゲームのそれであるなぁと思うのだけれど、自分も推しに対して同じように物語というかカタルシスを求めてしまうようなところがある。
言うなればそれは推しの苦悩をベースにしているもので、果たしてそれは「推し」ているのか、純粋な「応援」と言えるのかと考えることがある。

 

もちろん自分は、田村ゆかりが夢を果たし、目標を遂げ、輝き続けていてほしいと、本心から願っているのだけれど。
田村ゆかりさんに幸あれかし。」と、純粋に思う。

 

閑話休題
田村ゆかりという人は、ファンが求めるもの、期待するものを敏感に感じ取って、その通りに演じてみせるところがあって、推す側としてはそこに「ファン愛」みたいなものを感じたりするのだけれど、その期待というのは、裏腹に田村ゆかりという人を縛り付けていて、じわじわと苦しめてしまっているんじゃないかと、そんな風に思うことがある。
我々は田村ゆかりにとって「呪い」なのではないか、と思ったりする。

杞憂かもだけど。