このあとスタッフがおいしくいただきました

だめにんげんさんの墓標です。

T♡Cツアーファイナル1週間後の雑感

これは雑感である。ゆえに結論めいたものはない。
15分で書いた。

「神楽坂ゆか」の存在、ゆかりっくFesという「祭り」、あるいは過去にはクルピヨンであるとか、メタウサもそのようなものだったかもしれない。田村ゆかりさんには、これまで何度も私たちの想像も及ばないようなものを見せてもらってきて、その驚きというのが、声優として、歌手として、アイドルとして、つまりはパフォーマー田村ゆかりという存在を唯一無二たらしめ、その世界観を特徴づける一つだったように思う。
それはあくまで田村ゆかりさんの魅力としては付随的なものであって、そのあり方の如何が彼女の評価を毀損するものではない。
彼女の魅力の本質は、その「歌声」と「女の子らしさ」であって、例えば「露悪的な振る舞い(やさぐれ)」であるとか、今に至る「ストーリー」といったところは、付随的なものに過ぎない。もちろん、付随的なものも含めての「魅力」である。

私はいまもって告白するが、田村ゆかりさんに期待してしまっている。「次の未来」が驚きとともにやってくるということを期待してしまっている。
そしてその期待というのはなんだか、失礼な態度であるように思える。それはなぜか。

その期待は、彼女の魅力の本質と離れたところにある。ということかもしれない。それはあくまで「崩し」を期待するものであるから。
あるいは、彼女の行動を束縛するものであるかもしれない。その思いは「成したいことを成してほしい」という思いとは相反するものであるかもしれない。

この話に結論はない。ただ、思いが行くあてもなく、さまよっているという話。