それでも想いが響きあう
最初は普通にアコステツアーの感想を書こうと思っていたんですが、札幌公演中止の報せとともにいろいろ思うところもあり、書き残すことにしました。しばしお付き合いください。
いつかまた君にあえたら
Soundropsツアーのセトリ1曲目は「Never Let You Go」でした。
前座の風の香りと太陽さんがはけた後、幕が上がって登場したステージセット。
正直なことを言えば、アコースティックという言葉からは、いつものアコステパートのシンプルな構成を想像していた…というか思い込んでいたのでした。
「いつもと同じ "マジ" のやつじゃん…」
そうなればこちらも "マジ" で相対せねばなりません。2回最後列の立ち見ということもあり、全力でペンラを振り、全力で跳ばせていただきました。
「楽しい!」という気持ちが、少しでもゆかりんに伝わっていたらいいな…。
「Never Let You Go」は、「あいことば。」の発売後、生歌は初披露となりました。
この曲が1曲目にあること、すなわち(前座のかおりさんは置いておくとして)この曲がAFT以来のゆかりんとの邂逅であったことには、思いを至らせずにいられません。
「いつかまた君にあえたら」
コロナ禍で、出会いというものはそういうものになってしまったような気がします。
コロナ禍前なら確証があったわけではないにせよ、「いつかまたきっと会える」という想いは、ある種の「願い」や「祈り」のようなものに変質していったように思うのです。
この空のもとで、ゆかりんと生きてく
Soundropsでは幕間映像も印象的でした。
これまで恋愛をモチーフにしたものが多かった中で、ナレーションによる語りを中心に、「うれしい音」「悲しい音」などの感情とともにある「音」や「ただいまの音」「おかえりの音」など人々の生活の中にある「音」、すなわちゆかりんと社会や生活の中にある様々な「音」モチーフとした映像は、これまでにはなかった構成でした。
なかでも「私から出る音」という言葉と、雨降る街中を歩くゆかりんの映像が印象に残っています。
音というもの。
それは生きていることそのものでもあります。
喜びも悲しみも、たくさんの音が寄り集まって響きあう。
ときどきうまくいかないこともあるけれど、そうやって私たちは生きて、社会というものをかたち作っていく。
この同じ空のもとで、私たちもゆかりんも生きてく。
そういうことを考えてしまうような映像でした。
私たちのレゾンデートル(存在理由)
ツアーの千秋楽である札幌公演は中止となってしまいました。
中止となってしまったこと、特に参加予定だった方々のことを思うと、本当に残念でなりません。
病を患うこと、自分の体が思うようにならないこと。
抗しがたいものに組み伏せられるようなその悔しさは、想像をすると私自身も叫びだしてしまいそうになります。
それでも、「少しずつですが回復していますので安心してください」という言葉には、心配する私たち王国民への気遣いを感じずにはいられません。
ゆかりんにとって王国民というのは、どういう存在なんだろうと思うことがあります。
それと同時に、私たちにとってゆかりんは、どういう存在なんだろうと思うことがあります。
日常の中でゆかりんの曲を聴いて、ラジオでゆかりんのトークを聴いて、ステージ上で輝くゆかりんをみて、元気になったり、ちょっと頑張ってみようって思ったり、楽しいなうれしいなって思ったり、そうやってゆかりんのおかげで生きていこうって思うこと。
多くの王国民が、そういう経験を持つんじゃないでしょうか。
私たちにとって田村ゆかりさんは、優しくありたい人、ずっと大事にする人に他なりません。
ファンのみなさん、スタッフさん、そしてバンドメンバーのみんな。
たくさんのあたたかい言葉をありがとうございます。
約束を守れなかった私なのに。。
こんな時ではありますが、みなさんがいてくれることが幸せで、
みなさんの優しさが、私の宝物だなぁと感じています。
ほんとうにありがとう。
私たちの想いが伝わっていること、宝物だと感じてもらえること。
それがなにより嬉しく、私は常にそういう存在でありたいと思うのです。
みんなは、ゆかりの大事な宝物です。
私たちのレゾンデートル。
それは、ゆかりんが私たちのことを宝物だと思っていてくれること。
ゆかりんが私たちにレゾンデートルを見出してくれることこそが、私たちのレゾンデートルになっているんじゃないでしょうか。
声は出せなくとも
声は出せない世の中になってしまいました。
声は出せなくても、それでもきっと言葉は伝わる。想いは響きあっている。
それが私たちのあいことば。
答え合わせは、きっと大丈夫。