このあとスタッフがおいしくいただきました

だめにんげんさんの墓標です。

「田村ゆかり」は電気羊の夢を見るか?

しかし、ほんとうは生きている。生物学的にだ。
きみを作りあげてるのは人工動物みたいなトランジスター回路じゃない。きみは有機的な生き物だ。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 P.K.ディック・著/浅倉久志・訳/早川書房

この記事は、「ゆかりっくAdvent Calendar 2021」5日目(12/5) の記事です。
昨日はこばんさんの「Airy-Fairy Twintail~俺の地元公演~」でした。
横浜出身の私はあまり地元を感じることが少ないので、記事を読んでうらやましいな~と思いました。


横浜アリーナで行われたツアー千秋楽から、もう2ヶ月が経ってしまいました。
時の流れは速いものですね。

横アリでアコステラスト曲の「嘘」を歌い終えたゆかりさんが、まるで想いを至らせるように振り返った後、ステージに向かって歩いていくさまは、ストーリーが始まる瞬間のようでもあり、まるで「映像の中に入っていってしまった」ようでしたね。
横アリの広いステージを使った演出に、ツアー中のホール公演での構成に慣れきってしまっていた私は、思わず「やられた…!」と天を仰いでしまいました。

思えば今ツアーの映像パートは、前後の曲とのつながり、セットリストにおける「流れ」をかなり意識したものだったんじゃないでしょうか。
映像パート明けの「Pink Pygmalion」でも、曲始まりの無表情から曲中に表情が作られていく様は、歌詞そのものとともに映像のドールが表情豊かになっていく様子を引き継いだものであるように思います。

「Pink Pygmalion」と「田村ゆかり・像」

ツアー直前にアルバムとして発売された「あいことば。」に収録の「Pink Pygmalion」。あらためてこの曲は、どのようなものであったのでしょうか。


ナタリーさんのインタビューで「アンドロイドの恋もの」という受け答えがあるように、この曲の歌詞はゆかりさんがアンドロイドとして思い人に恋するような言葉が並びます。
そもそも Pygmalion というのは、理想の女性を彫刻して人間になることを願ったギリシア神話のピュグマリオーンのことです。
歌詞中の「指先 まなざし あなたの好みにOK」であるとか、「あどけないLipも Customize」「Personal Sizeになってく」いった表現は、彫像であるガラテアがピュグマリオーンの願うままの姿に象られていくさまを示しているように思われます。


また、この曲は「あいことば。」の中で唯一MVが作られたわけですが、MVについては次のようにも語られています。

──次の「それは奇跡なんかじゃない」も歌詞に重さはあるけど、サウンドはすごく軽やかで。この曲もシングルカットしたりMVを作るのにもよさそうなキャッチーさを感じました。

そうしてもよかったんですけど、やっぱり今までのようなパブリック田村ゆかりの派手さやかわいらしさは足りないかなーという感じがして。


ここでは「それは奇跡なんかじゃない」がMVの選外となった理由が語られていますが、逆説的にMVに選ばれた「Pink Pygmalion」はパブリックな田村ゆかりの象徴的な曲であるといえます。
すなわち、田村ゆかりさんがイメージするパブリックな田村ゆかり像」は、「派手さやかわいらしさ」の象徴として「Pink Pygmalion」の歌詞やMV映像にあらわれているわけです。


ツアー中、映像パート前に「映像の中に入っていってしまった」ゆかりさん、そして映像パート明けに「Pink Pygmalion」で「無表情から表情豊かに変化していく」ゆかりさんは、そういったパブリックに象られた田村ゆかり・像」の人形的側面との接続だったのではないでしょうか。


さて、あえてここで田村ゆかり・像」という書き方をしましたが、像とはまさに「像=イメージ」であり、パブリック性(自分のものではない・他人からまなざされるもの)そのものでもあります。
パブリック(public) の語源はラテン語の "populus" であり、英語ではすなわち "people" となるわけですが、それでは「みんな(people) の田村ゆかりとはどういったものでしょうか。

笑う笑うドール みんなのアイドル

遡ってみると、「エキセントリック・ラヴァー」もまた自己言及的な曲です。

笑う笑うドール みんなのアイドル
愛してるわみんな Do you love me?

キング時代の映像作品の売り文句に「声優界NO.1アイドル田村ゆかり」などとあるように、パブリックな「田村ゆかり像」とは、言い換えれば「アイドル」的なものであることは論をまたないことであり、「エキセントリック・ラヴァー」で歌われる自己像もまた、歌詞の言葉どおりアイドル的なものであるといえます。
歌詞をそのまま重ねてしまうのは躊躇がありますが、田村ゆかりさんが自覚的に抱く田村ゆかり・像」もまた、アイドル的なものであるといって差しつかえないでしょう。


アイドルという存在はまた、その一身に多くの人からの愛を受けると同時に多くの人に愛を与える、自己犠牲的な存在でもあります。

わからずやで 浮気なキミを ひきつけるため
泣いちゃうときもカメラの前で笑う 今日もキミのために

ちょっと正確な言葉は思い出せないんですが、田村ゆかりさんはかつて、「悲しいことがあってもステージに立ったときには笑顔で笑っていて、まるで自分がロボットのように思えた」という趣旨のことを語っていたことがありました。
「ロボット」というのは自身の感情と表情が切り離されていることに対する比喩的表現ですが、田村ゆかりさんは自身のアイドル性が感情と乖離したロボット的なものであることにも自覚的といえるでしょう。

この「ロボット」が感情との乖離を示すものであると理解するならば、映像のモチーフとしてあらわれた「ドール」や「Pink Pygmalion」における「アンドロイド」との共通性が見えてきます。
そこで時を経て、「エキセントリック・ラヴァー」と「Pink Pygmalion」の間には共通性を見いだせるわけです。


「エキセントリック・ラヴァー」はキングレコード時代の曲であり、「Pink Pygmalion」はCana aria移籍後の曲でもあります。
2つの曲が共通のモチーフをもつ一方で、差異として際立ってくるものはなんでしょうか。

「エキセントリック・ラヴァー」の "キミ" から「Pink Pygmalion」の "Pygmalion" へ


「エキセントリック・ラヴァー」と「Pink Pygmalion」、モチーフの共通性はあっても、やっぱり雰囲気が違います。
それが如実に表れているのは、曲中に歌われる相手の姿、すなわち「私と "キミ"」「アンドロイドと "Pygmalion"」それぞれの関係性でしょう。
いずれも "キミ" や "Pygmalion" への犠牲的な想いがありますが、それぞれニュアンスが少し違ってきます。

「エキセントリック・ラヴァー」での「私と "キミ"」の関係性は、次のように歌われます。

ドーリーフェイスも クールビューティー
抜かりなくキミを 狙ってるハンターよ

曖昧なキミも いじわるなキミも
キライと言う前に パクッと食べちゃった

この歌詞からは、私が "キミ" に対して一筋縄ではいかない、いわゆる小悪魔であるとか肉食的な自意識を持っているようにうかがえます。

一方「Pink Pygmalion」では、思い人である "Pygmalion" との関係が次のように変化するのです。

Many many 絶対好きになって
捨てたりなんかしないで (darlin)
あなたに従順で (hoppin')
ずっとさみしい (lovin')
Pygmailon

「Pink Pygmalion」では、アンドロイドたる彼女は "あなたに従順" であることが明らかに歌われています。

覗き込んだファインダー 気づいてマイ・ラヴ
レンズ越しの情事 スキャンダラス

本当の私を見つけて キミのその眼で


そもそもピュグマリオーンは彼自身の理想像を女性としてかたどっているわけですから、歌詞中の従順さも当然であるように思えます。「エキセントリック・ラヴァー」で訴えかけるように "本当の私" が歌われているのとは大きな違いです。


ここで、田村ゆかりさんは "本当の私" を滅してキミの意のままの存在になったのだ…ということを言いたいのではありません。
たぶん、どっちも田村ゆかりさんなのです。

「Pink Pygmalion」で見えてくるパブリックな田村ゆかり・像」も、「エキセントリック・ラヴァー」でカメラの先にいる "本当の私" も、どれもまごうことなく田村ゆかりさんであって、彼女自身が一枚の写真のように存在するのではないのです。

あなたが想う「田村ゆかり」を愛せ

ドールではなく、アンドロイドではなく、常に変わり続ける人間だからこそ、田村ゆかりさんはたくさんの魅力を備えているのです。
それはあたかも、ダイヤモンドがたくさんの面でカットされることできらめきをもつように、たくさんの王国民がそれぞれの想いを語るからこそ、ゆかりんは世界一輝いているんだと思います。

そう考えると、「Pink Pygmalion」のMVでゆかりさんがミラーの前で歌ってるのも意味ありげに見えてきますが…。まあそこまでは佐々木Pも考えてないかw


さて、こちら5日目の記事となりました「ゆかりっくAdvent Calendar 2021」。
昨年のアドカレではTCツアー中の忘れものについて、一昨年は「未来の果てにEscort」と「逢うたびキミを好きになる」について書いているので、良かったらそちらもご覧になっていってください。
tkk8637f.hatenablog.com
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6日目の明日は、つばきくんの「田村ゆかりの "嘘" について」です。

ツアー中、曲中の表情について話題に上ることが多かったように思いますが、なにせ文脈の外のことについてのことなので、私には語るのが難しいなぁと思っていました。
"嘘" についての語りに注目です。


それでは皆さま、再見!