田村ゆかりという人が何をしたいのか、ずっとわからないでいた
SsLツアーが終わり、見事に落選したFCイベを経て、冬ライブという単語がいつの間にか宙に浮いてしまっていたあの頃。
公式HPの「重要なお知らせ」とやらに並ぶ文字列には、「ライブ中止→なんで?」「黒うさぎ終了→なんで?」「キングの専属契約終了→なんで?」という思いが奔流のように巡り、ただ「支えていきたい」という気持ちが、海岸で干上がった海藻のように、あるいは天ぷらの残りカスのように、最後に頭の中でうち捨てられるばかりだった。
2016.02.13
いつも支えてくれている皆さんへ。
突然の発表で驚かせてしまってごめんなさい。
そして、心配してくれてありがとうございます。
見るの怖いなぁ・・って思いながらも、ツイッターなど見させていただいています。これは私が自分らしくあるために、たくさん悩んで、いっぱい考えて出した答えです。
ここで、新しい場所をお知らせ出来れば、
みなさんに安心していただけるのだと思います。
ですが、まだお知らせできない私のふがいなさを許して下さい。
いま思えば、これほどファンへの愛にあふれた言葉はない。「驚かせてしまったけど安心して欲しい」という率直な想いが伝わってくる。
そうした言葉を受け止めるには、きっと私の度量が足りなかった。
その年のFCイベント、ゆかりんの口から移籍については何も語られることがなかった。FCイベにライブパートがないことなど些末なことである。
けれども、移籍に関して何も触れられることがなかったことには落胆したし、憤ってもいた。
https://twitter.com/TKK8637F/status/801428446333145088https://t
今日なにも語られなかったことを良しとするなら、あのとき一喜一憂したことはなんだったのだろうかと思う
— だめにんげん (@TKK8637F) November 23, 2016
witter.com/TKK8637F/status/801428446333145088私は、FFC大阪で、「事件」のあと"W:Wonder tale"の曲終わりにゆかりんがマイクを通さず届けたあの言葉を、2階最後列にも確かに届いたあの言葉を、信じられなくなっていた。
明けて2017年の4月1日、TLが喜びに満ちていた。
私は喜びと安堵ともに、自分の度量の小ささ、浅薄さををあらためて思い知ることになる。その一方で、これですべてが良い方向に向かう。そういう確信があった。
それでは、そうであるなら、王国民にとっての一連の「混乱」と「動揺」なんだっただろうか。
復帰直後のFCイベは落選した。それ自体はもう、どうでもよい。
問題は、あのとき抱いた悲しみを、涙を、不安を、怒りを、どうにも腹に据えかねていたことだった。
そうして2017年9月26日、Crescendo Carol初日を迎えることになる。
終わってみれば、ゆかり王国は何も変わっていなかった。
そこには、ステージ上できらびやかに輝くゆかりんと、ゆかりんに満身創痍で愛をむける王国民の姿があった。
1年以上の休眠期間を経て、いま再び、キングレコードを離脱してまで田村ゆかりという人が成し遂げようとしたことに思いを巡らせるならば、それはなんであるか。
それはきっと、「何も変えないこと」であったと思う。
キングレコードは一連の騒動の後、スタチャ消滅とともに、小松未可子を切り、喜多村英梨を切り、ゆいかおりを切った。その当時、ゆかりんの活動に何らかの方針変更が打診されたであろうことは想像に難くない。状況をみれば、ネガティブなものであったのだろう。
田村ゆかりという人はきっと、守ろうとしたのではないか。
自らが遂げたい想いを、成したい未来を、そしてゆかり王国と王国民を。
本当のことは何もわからない。
これからも、ありのままが語られることなど、ないのだと思う。
それでもなお、田村ゆかりという人が抱く想いに添い遂げ、歩むその先を見ていきたい。
支える、とは、そういうことなのだと思うから。
Crescendo Carolの後、なんとなく考えてたことをようやく文章にした。いや、本当はYahooメールの下書きでメモってたんだけど全部消えた。Yahooメール絶対ゆるさんわ。まだ普通に使ってるけど。