Exactlyって、つまりそういうこと
唐突にExactlyの話なんですが、
心に距離は「い・ら・な・い!」と
一緒にいれば「へ・い・き・よ!」
は、なんとなく言いたいよなってことで被せでコールしてたんです。
んで、この「言いたさ」ってなんだろうとか考えてたんだけど、「心に距離はいらない」も「一緒にいれば平気よ」も、ゆかりんからの呼びかけだけじゃなく、双方から想いが重なることに意味があると思うんですよね。
双方からの呼びかけなわけです。
Exactlyは、コロナ禍の中でゆかりんが救ってくれた曲だなぁと思うんですが、ゆかりん自身にとっても、そういう曲であってほしい。
まあそうやって、ちょっと強がってみたいなって、私は思うんです。
それもまた、私たちの「あいことば。」になればいいんじゃないかなって、そう思ってます。
Paradoxx.の話 ~愛と加害のパラドクス~
この記事は、ゆかりっくAdvent Calendar14日目のエントリーです。

昨日の13日目は、すなみさんの「田村ゆかりファンクラブMellow Pretty会員規約を読んでみよう~ポイント解説~」でした。
t.co
会員規約を読み込んでいる人はなかなかいないので、法律的観点からの解釈・解説というのはおもしろいですね!
私も前から気になってたんですが、会員規約の最後に「附則」ってあるじゃないですか。あそこって本来は、施行期日とか改定期日とか入れるべきところだと思うんですよね。
この規約自体はおそらくテンプレが存在して、そこにアーティスト名やFC名を入れ込んだものと思うんですが、附則がないにもかかわらず「附則」ってテンプレ部分だけ存在するの、なんか気持ち悪いですよ。
※純烈さんのFCも、めろぷりと同じFanplusが運営なんですね
なのでこの会員規約は、【第17条】をうけて施行期日を附則に明記する方がいいんじゃないかと思います。まあ、実際の争いが生じなければ、期日を記載せずしらばっくれても、効力上そこまでは問題にならない気はしますけどね。
めろぷりさんは「再度会員規約をご確認くださいますよう」とおっしゃっているので、めろぷりさんも「再度会員規約をご確認くださ」った方がいいんじゃないでしょうか!
とまあ、そんな話は横に置いといていいんですよ。
Honey Bunnyツアーが終わって1ヶ月半が経ちました
アドカレ皆勤で今年で6回目になりましたが、今回は今年発売のアルバム「I Love itI♡」の収録曲である、「Paradoxx.」の話をしたいと思います。
ツアー前に発売されたアルバム「I Love it」の曲は、どれもライブで盛り上がる曲だと思うんですが、Paradoxx.って詞も曲もちょっと異色じゃないですか。
発売直後に歌詞カードを見たとき、「これはちょっとエグいなぁ」とショックを受けたのと、ツアー中もこの曲とどう向き合っていくべきか、ずっと悩んでいたんですよ。
その「まなざし」は加害する
「まなざし」っていう言葉からはどういうイメージを抱きますか?
「まなざし」という言葉からは、ある種「あたたかみ」みたいなものをイメージするかもしれません。
しかし、西洋哲学で「まなざし」を受けるということは、「見る者」と「見られる者」の関係性において、「見る」側が「見られる」側に規律や価値基準を押しつけるものとして理解されます。
例えばあなたは職場で、おもむろに全裸になってみたくなったとしましょう。あなたは生まれたままの姿で、自由になってみたいのです。
しかしその衝動は許されることがありません。なぜならあなたは、「全裸になりたい!」という衝動を抱いた直後、目の前の上司や同僚の視線があることを「意識する」ことで、「全裸になることは恥ずかしい」であるとか、「全裸になることは秩序を乱すことだ」という考えを「自制心」として内面から生み出してしまうのです。
「まなざし」と規律権力
フランスの哲学者であるM.フーコーは、このはたらきを監獄(パノプティコン)の中に見出しました。
近代に理想型とされた監獄は、その構造の中心位置に看守塔が置かれ、その周囲に囚人房がとりまくように配置されるものでした。これは看守が囚人を一望的に監視することを意図したものです。これによって囚人は、看守の「まなざし」を意識することで、自らを規律して行動するようになるのです。一方でこの監獄は、囚人の側からは、看守が自身を見ているかどうかはわからないよう、巧妙に配置されています。この見られる側が「まなざし」を意識するという構造は、いったいなにを生み出すのでしょうか?
見られる側の囚人は、「まなざし」を意識することによって、その「まなざし」が現にその場に存在しないのだとしても、自らのふるまいを律するように行動するのです。
つまり、「まなざし」というものは、「まなざされる」側に内面化され規律する、ある種の権力性(つまりパワーみたいなもの)を有しているというのが、M.フーコーの議論でした。
私はいつも、心配になるのです。
私がステージに向けるこのまなざしは、田村ゆかりさんの自由を奪っているのではないかと。
「この不安を見透かされた」
誰にも見せたくない君のその微笑み
腕の中にしっかり閉じ込めたくても
それは自由奪うようで
王国民の総体の中の一つである私のこのまなざしは、田村ゆかりさんのふるまいの一つ一つを規律するパワーを持っているのではないか。
私は「I love it」のアルバムを手にして歌詞カードを読んだとき、「疑問並べいつも悩んでる 僕の不安」が見透かされ、暴かれてしまったような思いを抱いたのです。
例えば、王国民を心配させまいとして、ゆかりさんが気丈にふるまうとき、我々が無理をさせてしまってるんじゃないか…とか、やっぱり心配になってしまったりするときがあります。
例えば、Twitterに流れてきた感想があったとして、ゆかりさんがそれを知ってか知らずかわからないにせよ、客席へのレスが変わったようなとき、やはりこのまなざしがふるまいを変えてしまったのではないかと心配になるのです。
さりとて田村ゆかりさんは、自立した一人の女性ですから、その選択は誰に強制されるでもなく、主体的になされているといえます。
だからこの心配は、きっと杞憂なのです。
杞の国の空は、落ちてくることはないのです。
さりとて「まなざし」というものに、そういった自由を奪うようなある種の「パワー」があるのは隠せないし、自分の内面を暴露されたように感じたから、Paradoxx.の歌詞は「エグい」というように感じてしまったんですよね。
「絶対アイドル辞めないで」
=LOVEというアイドルグループの「絶対アイドル辞めないで」って曲をご存じですか?
タイトルから想像されるとおり、この曲はファンからアイドルに向けての思いが描かれた歌です。そこには、アイドルへの思い・共通体験のようなものにが見えるように思います。
www.youtube.com
=LOVE 絶対アイドル辞めないで 歌詞 - 歌ネット
キミの好きに合わせたんだ髪の色
私は髪の色を染めたことはないけれど、例えば充電用のUSBケーブルとかスマホの本体色とか、そういった身の回りの持ち物をなにげなくピンク色にしている人、少なくないと思います。
優しい顔も真面目顔もすべて知ってるわたしが言う
←すべて知ってるってそんなわけない
でも、そういうある種の勘違いあるじゃないですか。
「僕らはいつでもわかってる!」ってコールみたいなやつ。
実際我々は、ゆかりさんのいろんな表情を見てきたとは思うんですよね。
その夢がアイドルじゃなくても覚悟はしてるから
いつまで続けられるかはわからないというようなことをご本人が言うように、バースデーイベがあってツアーがあってFCイベがあってという今の態勢が、いつまで続いていくかはわからないと思うんですよね。
いつか「辞めます」ということになるのかもしれない。
それはご本人の意思がどうあるにせよという部分もありますが。
どちらにせよ、その在り方はご本人の思うままであって欲しいという願いのようなものがあります。
一列でも前で感じたい
そりゃ私だって最前引きたいですよ。(身も蓋もない)
やっぱり前の方で近い距離で観れるって、視覚にせよ聴覚にせよ(嗅覚もある?にせよ)、情報の解像度が全然違うんですよね。
今日の歌い方 なんか好きだなぁ
「今日の『you』」「今日の『嘘』」なんて話がありますが、ツアーを何公演も参加しちゃう人って、(自分も含め)「今日の歌い方は感情が入っててよかったなぁ」とか「今日はせつない表情が泣けた…」とか、そういうしぐさや一挙手一投足に魅力を感じてしまっているのですよね。
星のいない空 それが当たり前で
暗い道に目が慣れずに
踏み出すのも怖かった
そんな時 やっと見えた光
「日々が苦しく辛いとき、ゆかりんの曲を聴いて救われた」
そういう体験をしてる人はいるんじゃないかと思います。
私にとってもコロナ禍の辛い時期に、「Candy tuft」や「あいことば。」の曲が支えになってたのは大きいんですよね。
今でも「Exactly」や「La La Love call」なんか聞くと、あの頃の記憶がオーバーラップします。
別に今だって、仕事や学校が明るく楽しいというわけではないけれど、田村ゆかりさんの存在が、日々を明るく照らしてくれて、だからこそ歩んでいけるというところはあるんですよね。
あなたがいてくれるから 私は笑顔でいます 元気です
ゆかりさんは、夜空句輝く眩しい星というより、足もとをやさしく照らすお月さまだなぁと思います。
これは報われないおとぎ話
恋よりもずっと好きだ
魔法よどうか解けないままで
楽しかったライブの終演後、あるいは打ち上げが終わった後、「いつまでもこんな日が続いたらいいなぁ」という思いに駆られることがあります。
田村ゆかりさんに対して、「絶対アイドル辞めないで」と思ったことはないけれども、これからいつかステージを去るそのときが来たら、やっぱり寂しさを感じることになると思うんですよ。
その日は10年後かもしれません。
あるいは明日なのかもしれません。
それでも、バースデーイベやツアーでまた逢える日を期待せずにはいられないわけで、「絶対」ではないにせよ、この日々がまだまだ続くことを信じてしまっているんですよね。それは程度の差はあれ、ステージの上で輝き続けていてほしい、「アイドルを辞めないでいてほしい」という願望と地続きであるように思います。
でもそれは、「報われないおとぎ話」なんですよ。
私の心にある「好き」という思いがどれだけあったとしても、楽しい日々がずっと続けばいいと思っていたとしても、それは私のエゴであって、田村ゆかりさんは田村ゆかりさんの人生として、いつかきっとステージを降りる日が来るわけです。
そういう「好き」と、自分のエゴとともにある「不安」というのは、アイドルに対して抱く普遍的感情なのかなと思います。
「Paradoxx.」とはなんなのか
話を戻しますが、それでは Paradoxx. という曲は、結局なんだったのでしょう。
結局それは端的にいえば、
「好き」と「不安」
そうした「心の中にあらわれる矛盾した感情」なんだと思います。
これまで私は、歌詞であるとかインタビューの言葉の中から、田村ゆかりさんがいまなにを考えているのか、思っているのか、解釈しようとしてきました。
でもそれは、想いが「言葉」として、かたちを変えてあらわれたものであって、それもまた解釈というフィルタを通している以上、どこまで「本当」に迫っているのかはわかりません。
所詮は「夢」や「妄想」に過ぎないのかもしれません。
ライブ中に田村ゆかりさんが見せる様々な表情、例えば今ツアーでは「嘘」や「you」であるとか「逆蜻蛉」、そういった複雑な表情やさみしい表現。
そうしたミステリアスな表情に、魅力とともに深い沼のような「底知れなさ」を感じてしまうのです。
そして、この「まなざし」が自由を奪うということ。
「絶対アイドル辞めないで」にもあったような、「好き」だからこそ生まれる「不安」、その葛藤。
この2曲は、一方は「作詞:松井五郎」、一方は「作詞:指原莉乃」であって、それぞれの世界はまったく交差しないように思われますが、アイドルに抱く「好き」と「不安」、そして矛盾への「葛藤」という意味では、同じテーマをして別々の言葉で紡がれた曲なんじゃないでしょうか。
それは、相手がただ恋愛対象としてあるからではなく、きっと手の届くことがないことを確認せざるを得ない、ステージの上で遠く光り輝く「アイドル」だから、より深く強く感じてしまうように思うのです。
この気持ちはどこに向かうのか
田村ゆかりさんは、アイドルです。
これに異議を申し立てる人はいないでしょう。
アイドルという言葉は、日本においては1960年代に活躍したシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」という曲のタイトルを端緒として、文化の広がりを見せていきました。
その中でファンからアイドルへの感情というものは、長らく異性愛的な「恋愛感情」を前提として理解されていました。
かつて存在した「アイドル誌」(アイドルを取り扱った雑誌のこと)は、雑誌ごとに取り扱う対象が「男性アイドル/女性アイドル」と明確に分かれており、「Myojo」「POTATO」などジャニーズを主体とした男性アイドル誌は10代女性をターゲットとして、「BOMB」「Wink Up」などの女性アイドル誌は10代男性をターゲットとして制作されていました。
誌面の内容ついていえば、男性向け女性アイドル誌では「性行為」や「性体験」について興味を向けたものに関心が向けられ、女性向け男性アイドル誌では「メンバー間のホモソーシャル的空間」に関心が向けられていたものでした。
そのような誌面構成が、良いとか悪いとかいう評価をするものではありません。アイドルを性的に消費したりすること、性的に「まなざす」ことも、それ自体が悪いことではありません。
しかしそのような「まなざし」を向けることを表沙汰にするというのが、無限に許されるということはないわけです。
端的にいえば、アイドルを性的に消費しているとして、内心としてそういうものがあったり、見えないところでそういう行為を行っていたりしたとしても、それが本人の目の前においては、当然の配慮が必要になるじゃないですか。
その一方で、21世紀に入りWEBメディアが主役となっていく中で、アイドル誌は部数を減らしていき、そのような光景が「前提」であるとか「共通理解」ではなくなったように思います。
遡れば80年代から、その萌芽はあったのです。
松田聖子さんは、当時「ぶりっ子」としての評価はあったものの、それこそ田村ゆかりさんに代表されるように、女性の憧れの対象でもありますし、小泉今日子さんはアイドルとしては型破りな存在として、男性から語られるだけではないアイドル像というものを示してきました。
時は流れ、ももいろクローバーZであるとかPerfumeであるとか、今のアイドルというのは、異性愛主義と疑似恋愛を前提としてはいないものとなりました。
田村ゆかりさんもまた、現場では女性ファンが多く見られ、その目線はかつてあったアイドルの目線よりも多様であると言えます。
それでも、私はまた不安になるのです。
この目線(まなざし)は相手を傷つけるものなのではないかと。
それでも、「まなざし」むける私
それではこの「まなざし」は、ただひたすら自由を奪うばかりなのでしょうか。
この記事の最初、M.フーコーのパノプティコンに関する議論を引いて、「まなざし」の権力性について言及しました。権力性を持つということはすなわち、「パワー」と持っているということでもあります。
今ツアーの宇都宮公演。ツアーも後半で有明公演を経てコールが仕上がりきった我らの声を聞いて、田村ゆかりさんがMCで、「みんなの声のおかげで気持ちよく歌うことができた」と語ってくれたことがありました。
AFTの横浜アリーナ千秋楽、声の出せなかったツアーの終わりに、「みんなの声が聞きたい」と語ってくれました。
この「まなざし」が届くこと、声にのせて想いを伝えるということは、相手を勇気づけることでもあります。
この「まなざし」が傷つけることがあるかもしれないけど
この「まなざし」が勇気づけることがあるのかもしれない
演者を勇気づけるのも、この「まなざし」である
そう言えると思うのです。
パワーとはすなわち権力性でもありますが、エンパワーメントするということは、勇気づけることであるわけです。
キュアアムールも歌ってたじゃないですか、「大好き∞無限POWER」で歌ってたじゃないですか、「大好き!大好き!伝えよう」って。その言葉が「勇気」とか「奇跡」とか、無限大のものを生み出すんですよ。
キュアマシェリ(田村奈央)、キュアアムール(田村ゆかり) 大好き∞無限POWER 歌詞 - 歌ネット
田村ゆかりさんはアイドルですが、私の田村ゆかりさんへの想いは、疑似恋愛のようなものとはちょっと違うんじゃないかと思っています。
「舞台はみんなでつくるもの」という言葉があります。
それは、まさにゆかり王国のあり方を示しているように思います。
AFTの千秋楽でゆかりんが語っていた、「田村ゆかりシステムの共犯者」というような、我々の関係性はそういうものであると思うんですよね。
この関係は、婚姻のように法律的保障があるわけではありません。
血縁的な絶対性があるわけではないので、いつでも「辞める」という選択肢も用意されています。
ある意味で無責任な関係です。
でも、いつでも辞められるからこそ、いまここで気持ちを向けているということは、「ゆかりと一緒にいたいんだ」「この手を離さない」という、明確な意思に裏付けられた関係なのだとも言えます。
その「まなざし」って、「愛」って言っても差しつかえないんじゃないかと思います。
それは、ただ加害するでもなく、
異性愛的な疑似恋愛なのでもなく、
言うなれば
一回性の人生を同じ世界でともに生きる「伴走者」
なんじゃないかと、
そういうあり方でいたいと、
私は思うのです。
さ~て、次回の「ゆかりっくAdvent Calendar 2024」は?
次回は ようかんまんさん の「Honey bunnyツアーでつくったものたち」です。
ツアー中いろんなものTwitterに上げていて、うまいなぁと思っていたんですが、そのスキルはお仕事のなせるワザだったりするんでしょうか?
どんなことを考えて作ってるのかなと、興味津々です!
それではみなさま、チャオ!
参考文献
香月 孝史/編著 上岡 磨奈/編著 中村 香住/編著/『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』/青弓社
ジャン=ポール・サルトル/著 松浪信三郎/訳/『存在と無 Ⅱ』/筑摩書房
ミシェル・フーコー/著 田村俶/訳/『監獄の誕生』/新潮社
レオ・ベルサーニ/著 アダム・フィリップス/著 檜垣立哉/訳 宮澤由歌/訳/『親密性』/洛北出版
世界サブカルチャー史 シーズン4 21世紀の地政学 アイドル編/NHK (初回放送日:2024年1月6日)
「null」の話
愛してるに似ていた さようならみたいな
ありがとうに似ていた ごめんねみたいな
さようならに似ていた 愛してるみたいな
ごめんねに似ていた ありがとうみたいな
象ってつくる
象って つくる途中に
落としていたとしてきた 言
「象ってつくる」
= 想いのかたちを象る(心のかたちをあらわす)ということ
それによってなにが起こったか?
→「言(言いたいこと)」は落としていたとしてきた
すなわち、言葉として「象ってつくる」つもりが、「落としていた」ことによって
「言いたいことは "じゃない"」
「"言いたい言葉" じゃない」
に至った
⇒「象ってつくる」はずが、言いたい言葉じゃなくて、「透明な本当」になってしまった。
模ってつくる
模ってつくると 宙に
音していた 賭してきた事
「模ってつくる」
= 想いのありようを模る(心のありようをふるまう)ということ
それによってなにが起こったか?
→「賭してきたこと」が宙に音をなしてあらわれている
想いをふるまいとしてあらわしても、それも言葉にはならない
「言いたいこと わかんない」
「言いたい 言葉がない」
「本当」とはなにか(問う 名ない本当)
とまあ、ここまでが構造の話です。
字面を解釈すれば、結局「名ない本当」というのは、表層の一歩先にあるもの、言葉にならないもの、それこそが「null」なのだと。
でもそれではまるで、トートロジー。堂々巡りじゃないですか。
「null」そのものは言葉にならなかったわけですが、「null」が歌として、つまり表現としてあるということは、その意味のありかたを定めるのは、結局「表現を受け手がどう感じるか」なのかなと思っています。
田村ゆかりさんの「null」の歌い方の特徴としては、一つ「イノセント(無垢)さ」のように、私は感じました。
ナタリーさんのインタビューでは、「null」の歌い方について次のように話しています。
私も日本語の複雑さが好きなんですよ。前後にくっついた言葉や受け取る側の感覚で解釈がいくらでも変わるのが好きで。今回はレコーディングのとき、最終的にけっこうキーを上げたんですよ。2音近く上げたのかな? 元はもう少し暗い印象で、そっちのほうがカッコいいんじゃないかという声もあったんですけど、私はこの言葉遊びが面白いなと思ったし、かわいい方向に持っていったほうがよくなるんじゃないかなって。歌い方もほかの曲よりは少しかわいらしくしました。
田村ゆかりさんの表現力であれば、
「さようなら」と「愛してる」も、
「ごめんね」と「ありがとう」も、
もっと意味を寄せることもできたんじゃないかと思うんですよね。
でも、
「さようなら」と「愛してる」の間には、
「ごめんね」と「ありがとう」の間には、
言葉にならない「なにか」があって、その「なにか」について、田村ゆかりさんはあえて意味を定めることをしなかったのだと思います。
このツアーにおいて、田村ゆかりさんがこの曲をある種の「イノセント(無垢)さ」をもって歌ったというのは、「どちらでも取れるように歌った」ということなのだと思うのです。
なればこそ、
「さようなら」
「愛してる」
「ごめんね」
「ありがとう」
それぞれの言葉の意味というのは、表現としては「null」であるけれども、その「null」であったものがそれぞれの受け手に届いてから生じた意味こそが「本当」なのだと思うのです。
そんなわけで、「null」は多様な解釈が生じることが、その本質なのかなと言う気がします。
機会があれば、他の人の解釈も聞いてみたいですね~。
まあツアー終わっちゃいましたけど。
8年越し、なんじゃないかと思ってる
キンスパ、なにを歌うんだろうね?
予想してハズしたらかっこ悪いよね、という話ではある。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
これは予想を当てるとか当てないとかではなく、そうあってほしいという「願い」みたいなものだ。
聴きたい曲とかも、実のところあんまりない。
曲回収みたいな考え方が、あまりよくわからない。
ツアーやらイベントやら、生で聞けたらうれしい曲はあるが、「この曲が聴きたい」とかいうのがあんまりない。
強いて言うなら、本人が歌いたい曲を歌っているところが見たい。
そして、最後にあの時伝えられなかった『ありがとう』の花束をいつか届けさせてもらえるように見守っていて下さい。私の大切なみなさんへ。愛をこめて
田村ゆかりさんが、なにかを成し遂げるところを見たい。
パブリックな評価としてなにか達成するとかじゃなく、田村ゆかりさんが想いを遂げるところを見たいんだよな。
8年越し、なんじゃないかと思ってる。
「うらはら兎」は「you」みたいなものだったんじゃないか
with meツアー終了から、もう3か月ですか。
2023年という年は、まさに「ゆかりんと一緒」の一年だったのだなぁと思います。
今年もやって参りました、「ゆかりっくAdvent Calendar」。
昨日は日向修二さんの「王国民保護者会参加レポ」でした。
わ、我々独身にはお子さんのいる世界というのはハイカルチャーすぎるので…。
オタクしつつ子育てもしっかりこなしている方々、スゴいなぁと思います。
さて本日は、私だめにんげんが記事を担当させていただきます。
本題に入る前に、せっかくなので、ツアーの思い出にも少し触れさせてください。
「わすれもの」もといリアル忘れ物の話は2020年にやったので、今回はやめときます。
一つだけ言っとくと、財布なくすとマジでメンタル地獄になるから気を付けた方がいい。
今ツアーでは千秋楽に、#wm2023総打ち上げ ということで、秋葉原のHUB貸し切り95名で打ち上げをやりました。
苦労話をしてもつまらんので、打ち上げのこだわりポイントを手短に。
バス出した
バス出しました。
いやバス来たらおもしろいかなと思って。
バスだーーー!!#wm2023総打ち上げ pic.twitter.com/vM5u6WYFkQ
— みらぱら♓️ (@yuya_srx) 2023年9月3日
この絵面は実際おもしろい。
写真見るといまだに笑える。
有明ガーデンの駐車場に自分の呼んだ大型観光バス2台並んでるの見て、「マジでいるw」ってまず初見で笑ったよね。
まじめな話、バスを呼んだのには理由があって。
打ち上げ会場が秋葉原のHUBで、有明ガーデンからの移動って、乗り換え含めなかなか不便じゃないですか。
参加者の皆さんにどんだけ急いでもらったところで、到着はバラバラになるし、下手すると来れない人も出るかもしれない。
そうなると打ち上げ自体、「みんな集まってないけど、とりあえず始めるかぁ」みたいな感じにならざるを得ず、締まりもテンションもなくなってしまうわけで、そんなら「オタクまとめて移動させてしまえ」という狙いでバスを仕立てたのでした。
あとは「ビュリフォナウ(謎の踊り)からのスタート!」っていうのをどこかでやりたくて。
HUBでは映像上映のつもりだったから、やるならココだなってことで、「ビュリフォナウ(謎の踊り)からのバス発車!」というのをやりました。
車内の様子は下記動画を参照。
今日乗り合わせたやべーバスです。
— まさけん (@aaa1349) 2023年9月3日
ご査収ください。#wm2023総打ち上げ pic.twitter.com/K3WLw8SuSx
発車後はWMのセトリをなぞりつつ。
そこはもうツアーで修練された皆さまですから、「Fanfare」で合唱しつつ「私だけMissing」で信号停車中なのに揺れる車内@銀座のド真ん中という盛り上がりっぷりでした。
いやぁ楽しかったですよね。
ちなみに余談ですが、バスを会場近くに停めるにあたって、大型観光バス2台路上駐車はさすがにお巡りさんに怒られかねないので、電話で予約して有明ガーデンのバス駐車場をちゃんと借りました。
予約の電話を施設管理者(住友不動産商業マネジメント様)にかけたところ…
担当者:「今回どういった用途でご利用ですか?」
私 :「ライブ後の移動でバスを借りてるんですが…」
担当者:「…? 関係者の方ですか?」
私 :「すみません、ライブの観客で、個人なんですけど…」
担当者:「えーと、個人への貸出実績がないので社内で確認させてください」
それはそうだよね。
ライブ会場から貸し切りバスで移動する客なんかいないよね。
しかも個人で。
ともあれ今回のことで、有明ガーデンのバス駐車場は個人でも借りられるということがわかりました。
個人でバスをお持ちの方がいらっしゃいましたらご参考までに。
名札と切符みたいななにか
今回も名札を作りました。
思い出のかるた取りということで、かるたモチーフです。
このマルス券とご案内の説明文…だめにんげんさん流石だ!最高🤣 #wm2023総打ち上げ pic.twitter.com/x5L5nrD36V
— ほくほく♈️ (@nishidai24) 2023年9月3日
ついでにマルス券っぽいバス乗車券&ご案内も作りました。
わかる人にはわかるっていうのがいいんだよね~。
「うらはら兎」は「you」みたいなものだったんじゃないか
さてここからが本題です。
この話は総打ち上げ最後のご挨拶でも言いましたが、「うらはら兎のねがいごと」という曲は、「you」みたいなものだったと思うのです。
「you」って誰なんだ?
ゆかりんの歌詞の中では、「あなた」「アナタ」「キミ」…と、いろいろな二人称の言葉がありますが、なかでも英語の "you" は、ちょっと曖昧な言葉です。
それは、 "you" が「あなた(単数)」なのか「あなたたち(複数)」なのかをハッキリさせないところにあります。
それでは「you」という曲の向こうにいるのは誰なのか。
小さな笑顔のひとつひとつ こんなにも大切だったんだ
…と、ここまで書いてきて、なんか野暮だなっていう気分になってきました。
「you」が誰かってわかるだろ?わかれよ!
"Don't say Good-by" が "わたしを嫌いにならないで" なんだよ!
"だからまだここにいていいかな" が "いつでもずっとそばに ずっといたい" なんだよ!
ピョンと跳ねてるんだよ!
かわいいだろ!
わかれよ!
歌詞解釈って、なんか全部書き切ってしまうと野暮な感じありますね。
そもそも「うらはら兎」がライブ本編最後にあり、「you」がSsLのツアーラストで歌われたというところに共通性があります。
そしてそこから伝わってくる想いというのは、同じものがあるんじゃないかと、そう考えてしまうわけです。
その先にある「ブルジェオンの薔薇」
あのとき、「you」で終わったSsL。
曲が終わって放心状態になったことを、今でも覚えています。
その後の冬ライブ中止、黒うさぎ終了、レコード会社移籍。
いろいろありましたが、もうあの発表からは7年経ってるんですね。
あのとき「you」の先は見えなかったけれども、今は「うらはら兎」の先に、アンコールの「ブルジェオンの薔薇」があります。
Don't say Good-by
ずっとずっとね この手をはなさないでね
あのときの「この手をはなさないで」という願い。
この手を離さないで
それが未来になる
今はその先に未来がある。
未来は永遠じゃないけれど、この手を離さずにいたい。
with me ツアーをとおして、私もそう願うのです。
余談ですが
"さみしさが先回りをする" とゆかりんが歌うのに対して "それでも!" と唱えるのも
どんな "夢も" "愛も" と唱えるのも
松井五郎さんが王国民パートとして任せているんじゃないか思うと、ちょっとステキだなぁとか思いました。
さ~て、次回の「ゆかりっく Advent Calendar 2023」は?
次回は野上ぁゃかさんの「おとなのゆかりちゃん祭りに参加して、、」です。
ゆかりちゃん祭りめちゃくちゃ楽しかったですよね。
世代的に「世界中の誰よりきっと」とか激アツだったし、男爵たちとのデュエットもよかったなぁ。
どんなお話になるのか、お楽しみに~。
今までもずっと、私たちとゆかりんは「かくれんぼ。」してきた
旅が始まろうとしています。
東京在住の私にとっては、飛行機に乗って遠出することで、ようやくツアーが始まったな、という感覚です。
#ゆかりとあいことば
コロナ禍の最中、ツアーがどうなるのかわからない不安の中でリリースされた「あいことば。」。
どの収録曲も、私たちの心の中で、確かな「支え」としてあったように思います。
世の中に確かなものはなにもなかったけど、ゆかりんとともにある想いだけは、確かなものとして信じることができました。
その想いこそが「あいことば。」だった。
いま、あらためて、そう思っています。
ゆかりんと「かくれんぼ。」
ツアーが始まると、Twitterではいろんなイラストやレポート、感想ツイートが流れてきますよね。
私はあまり観察力がないので、ライブ中みんなよく見てるな~っていつも感心しちゃいます。
イラストも、ゆかりんの魅力・かわいらしさが絶妙に表現されててホントにスゴいです。
AFTではTwitterやらスペースやらで「今日の『嘘』」なんて話がありましたが、王国民ならでは、ある意味でマニアックな視点であると言えます。
いつだったか、橋本環奈さんが「1000年に1人の美少女」って取り上げられたとき。
あのときに流れてきた写真も、確かファンの手で撮影されたものだったはずです。
そうやって「見つける」のって、ファンならではのこと。
ゆかりんの魅力を見つけるのは、ゆかりんのことを知る王国民だからこそなんだと思います。
ライブ中のしぐさ・表情、思わず笑ってしまう一言、ほろりと泣かされてしまう一言、そしてアルバムに隠れた意味やメッセージ。
私たちはいつだって、そうやって見つけ出そうとしてきました。
私たちは今までも、ゆかりんと「かくれんぼ。」してきたのです。
Twitterに感想を書いたりイラストを描いたり、そうでなくても心の中でつぶやくだけでも、「かくれんぼ。」したゆかりんのことを見つけているんだと思います。
だめにんげんさんがオススメする北海道のソフトクリーム・ベスト3!
ゆかりんのツアーを通じて、これまで日本全国いろんなところでソフトクリームを食べてきました。おいしいソフトクリームをコマさんにもゆかりんにも食べてほしい!
そんなわけで私がオススメする、北海道のおいしいソフトクリーム・ベスト3!
【第3位】
共働学舎新得農場(新得町)
こちらのソフトクリームはチーズ製造で生まれるホエイジャム(乳清ジャム)が使われていて、濃厚なミルク風味が感じられ、それでいて重たさを感じないソフトクリーム。こちらはチーズもいろいろ種類があってオススメです。
甘み強めだな~と思ったらホエイジャムが隠し味に入ってるらしい (@ 共働学舎新得農場 ミンタル in Shintoku-chō, 北海道) https://t.co/341Xbs3Qrw pic.twitter.com/i1R1fzpe40
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2018年8月12日
お店も森の中といった感じで、夏には白いアジサイが咲き乱れてて良きです!
アナベル咲いてるお庭 pic.twitter.com/EIiKtNU7wh
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2018年8月12日
札幌から約200キロ、片道3時間ほどとあって、(このあとご紹介する2つよりは)比較的札幌に近い!
【第2位】
若里ジャージーミルク工房 ARVO(佐呂間町)
ジャージー種の独特で濃厚な風味を味わうことができるソフトクリーム。乳脂肪・乳固形分が多めのミルクは、一口で「おっ!」と思わせる味です。
ジャージー種のクセなのかもだけど、鼻に抜けるミルク感がすごい。ウマい! #なぜなにゆかりん (@ ARVO in 常呂郡佐呂間町, 北海道) https://t.co/GQskQ1CwKB pic.twitter.com/zyZe7DeCMW
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2022年5月21日
廃校となった小学校を活用した建物も、子ども向けのオモチャがあったりして見ていて飽きさせませんよ!
ブンブンブーーーーーン #ゆかり王国パペット pic.twitter.com/jnvQQveJ7G
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2022年5月21日
札幌からは約300キロ、片道4時間ほど。サロマ湖の観光のついでにいかがですか?
【番外編】
お次は第1位!…の前に番外編です。
北海道は広くて大変だよ~というそこのアナタ!
新千歳空港ターミナルビル2階の北海道興農社さんなら、2週間ごとに入れ替わりで北海道各地のソフトクリームを食べることができます!
www.new-chitose-airport.jp
北海道各地の牛乳と飲むヨーグルトもいただけるので、ミルク好きな方にはオススメです!
本日のソフトクリームは十勝清水のあすなろファーミングさん。ふんわり軽くておいしい🍦 ノースプレインファームの牛乳も一緒に🥛 (@ Milk Stand 北海道興農社 in 千歳市, 北海道) https://t.co/e879oQMqYX pic.twitter.com/SagTBnddXb
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2021年8月3日
道内各地のソフトクリームが食べられる北海道興農社! 今日は美瑛ファーマーズマーケットさんのソフトクリームでした!ふわふわ軽やか🍦 #なぜなにゆかりん (@ Milk Stand 北海道興農社 in 千歳市, 北海道) https://t.co/3YFIUlFoWy pic.twitter.com/Jdg4JHiNjY
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2022年7月1日
お次は今度こそ第1位!
【第1位】
ノースプレインファーム ミルクホール(興部町)
「ミルク」を感じられる、正統派ド直球のソフトクリーム。本当にミルクがおいしいと思えるソフトクリームです。ソフトクリームのもととなる「おこっぺ有機牛乳」は、低温殺菌で乳牛が食べるオホーツクの豊かな牧草やトウモロコシの風味がダイレクトに感じられるおいしさ。牛乳がおいしければソフトクリームもおいしい。納得の味です。
これミルク濃くてめっちゃウマい! (@ MILK HALL in 紋別郡興部町, 北海道) https://t.co/MiOBorNhaw pic.twitter.com/EmMTivn6IX
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2017年5月18日
札幌からは約270キロ、こちらも片道4時間ほど。それでもソフトクリームのために行く価値ありです!
ちなみに第1位のノースプレインファームさんですが、今年の3月にスカイツリーの東京ソラマチにも出店しまして、なんと東京でも食べられるようになりました!
オホーツク おこっぺミルクスタンド
お近くにお越しの際にはぜひ!
私のゆかり王国10年記
これは「ゆかりっく Advent Calendar 2022」6日目の記事です。
昨日はmashさんの「ゆかりんを好きになった歌について」でした。
ゆかりんの曲は深読みしたり曲語りしたくなる曲が多くありますが、好きになったきっかけの曲であれば格別ですよね。
mashさんの思いが溢れたステキな語りを拝読させていただきました。
今年はつばきくん主催の「あなたの田村ゆかりはどこから? Advent Calendar 2022」にも参加させていただきまして、ゆかりんに焦がれた「瞬間」というのを語らせていただきました。
tkk8637f.hatenablog.com
あれから10年。
ゆかり王国に入国してから10年が経ちました。
今日お話しするのは、一人の王国民の思い出ばなしです。
はじまりは、ぼっち
3階席で、ゆかりんは小っちゃくてよく見えんかったが、楽しかったもんだで。
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2012年9月22日
初参加はFiL愛知公演。
思い立ったようにチケットを取って向かったセンチュリーホール。
コールとか予習したけど全然言えなかったなぁ。
それでも楽しくて楽しくて、終演後にその足で即FCカウンターに向かったのでした。
#アドトレ撮影班
キング時代はデカーいアドトレが街中を走って、心躍ったものです。
アドトレ撮影初参加はW:Wonder tale。
あの頃はまだ「アドトレ撮影班」なんて言葉はなかったのか、ハッシュタグも付けてませんでしたね。
ゆかりんアドトレーラー/15:18頃、西新宿の新都心歩道橋から #yukarin http://t.co/LM295k9M
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2013年2月6日
このアドトレ撮影も、一眼レフカメラをなんとなく持て余してたのと休日ヒマだったのと、実はこれも軽いノリが原動力になったんですよね。
螺旋の果実では丸一日かけて、東京近郊大回りで全駅のポスター撮りに行ったりしたなぁ。
きっと休みの日にヒマだったんだろうなぁ。
ゆかりん新アルバム「螺旋の果実」号アドトレーラーは、王子駅前を通過しました。 #yukarin #アドトレ撮影班 pic.twitter.com/PZiRnvCWUM
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2013年11月18日
私が「#アドトレ撮影班」のハッシュタグを使ったのはこの時が初めてでした。
今はなき主任氏(他界)に声かけられてアドトレ撮影班の人たちと知り合うようになったのも、たぶんこの時が初めて。
この辺からはちょっとずつぼっちじゃなくなっていきました。
ベルばら前の交差点を右折するアドトレーラー #yukarin #アドトレ撮影班 pic.twitter.com/MddF07w2Uv
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2014年1月13日
ゆ「受験生のみんな、寒さに負けずセンター試験がんばってね!」(@東大赤門前) #yukarin #アドトレ撮影班 pic.twitter.com/C9KRoSWSBV
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2014年1月18日
この辺から撮影場所とかテクニックとか、変な凝り方をするようになってきた。
ゆきだー!#yukarin pic.twitter.com/iNftU1pDCi
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2014年2月7日
新宿ステーションスクエアとかもあったよねぇ。
昨日は三度目のロワール訪問に行ってきました。1個目はもちろん桃のケーキ(まるごとピーチ)。甘くてみずみずしい桃を堪能しました。 pic.twitter.com/fIuSzNHXWB
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2014年8月10日
撮影班のみんなでロワールにも行ったね。
ご主人とおばさま、お元気にしてるだろうか。
ブルーベリームースで、Berry Berry Berry Menu...ね! #yukarin pic.twitter.com/EHT4NfVCzi
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2014年8月10日
Twitterのアイコン写真もこのころ。
アドトレ撮影もロワールでねんどろ撮影も、撮影班のみんなで行くとテクニックの競い合いみたいになったし、和やかだけどコンテストみたいで楽しかったんよね。
写真のテクニックはだいぶここで磨かれたような気がする。
他にもツアーの思い出とかたくさんあるけど、ここではあえて割愛。
私の思い出話をしたいんだよ。
同人誌を作ろう!
なんかヒマだったんですよ。
…いや、言い方が良くない。
ゆかりんの活動休止もあって、時間的に余裕があったんですよね。
そこで今までアドトレやらロワールやらで撮ってきた写真たちを写真集として本にしてみたくなったんです。
そこでまた勢いだけでコミケにサークル参加してしまうのでした。
ブース設営が完了しました!
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2016年12月30日
今回は初のサークル参加で、新刊のゆかりんねんどろいど&パペットの写真集2点を頒布します。東2ホール R-50a 王国写真協会にてお待ちしております!
#C91 #ねんどろいど #nendoroid pic.twitter.com/nyVL8k0uOx
大規模打ち上げをやろう!
なんかヒマだったんじゃない?知らんけど。
たぶん会話してる中で、「みんなでゆかりんの映像見ながらワイワイ忘年会やりたいよね~」みたいな話になったような記憶なんですが、勢いのままに秋葉原のHUB貸し切りで忘年会を開いてしまいました。
おかげさまで40人ほどの皆さまに参加いただいて楽しくワイワイ忘年会できましたね。
HUB忘年会受付開始してます~! pic.twitter.com/u87cA1O4C8
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2018年12月16日

こんな感じで名札も作りました。
Twitterで知り合ったみんなで忘年会!ということで、Twitterのプロフとツイートのデザインをミックスさせたイメージです。
ふぁぼはセルフふぁぼじゃないよ!(みんな来てくれてありがとう!のふぁぼ)
2回目のHUB貸し切りはTwilight♡Chandelierの打ち上げ。
総打ち上げにあたり名札を作成しました。今回はTwilight♡Chandelierにちなんで、トワイライトエクスプレスのヘッドマークをモチーフに、天使のイラストをぞっぽさん(@oshirase_FA)にご提供いただき制作しました。用紙には淡くピンクに光るパルルックトワイライトを使用しています! #TC総打ち上げ pic.twitter.com/BYLR39TRqM
— だめにんげん@次の未来へ (@TKK8637F) 2019年8月25日
ここでも名札をこだわって作らせていただきました!
長いようで短い
そんなわけで、私のゆかり王国での、あえてゆかりんのオフィシャルな活動とは離れたところでの思い出を語らせていただきました。
ゆかりんが「10年…は無理かもしれないけど」と語ったCRからも、もうすぐ本当に10年が経とうとしているのですね。
高円寺のカフェ…どころか、来年はゆかり王国最大規模のツアーが予定されているという。
最前線に立ち続けるゆかりんは、やっぱすげぇなぁ…。
月並みながら、長いようで短いような10年間でした。
でもそれって、今も続いているからこそだと思うんですよね。
終わってしまったことならもういつかの「遠い日の思い出」になっていて、終わりも始まりも見えているじゃないですか。
ゆかり王国での思い出は、始まりの記憶は確かにあるけれども、終わることなくまだまだ続いていくから、だからこそ長いようで短い。
そう思うんですよ。
ゆかり王国にいなければ、もっと違った未来を、世界線を歩んでいたのかもしれません。
まあ結婚して、子どもがいてっていう世界線があったのかもしれないね。(本当に?)
その人生が幸せだったのかどうかはわからないけど、いま私は、ゆかり王国にいて楽しくて幸せですよ。
それでいいんじゃないかな。
ゆかりんと、みんなと作った思い出は、まだきっと続いてく。
これからもずっと。
さ~て、明日の「ゆかりっく Advent Calendar 2022」は?
明日のご登場は ながたつ さんです。
お題は「ビールが飲みてぇな?」とのこと。
なんで疑問形なんだよ!ビール飲みてぇんだろ!
もっと欲望に忠実になれよ!
というわけで、ビールまみれの文章を楽しみにしております!
それでは皆さま、エル・プサイ・コングルゥ!
出会った頃はこんな未来、想像できなくて
あなたに会えて 本当に 幸せ感じてる…
この記事は「あなたの田村ゆかりはどこから? Advent Calendar 2022」4日目の記事です。
昨日はくろこねこの「ゆかりさんとの出会いと懺悔」でした。
彼とはもう付き合いも長いので、もとより他国出身という認識でしたが、まさかのアンチだったんかい…。
なかなか驚きですねぇ。
そんな彼もいまではドップリと王国民。
人間なにがあるかわからないものです。
王国民の数だけゆかりんとの出会いがある。
思いが強いからこそ、その出会いにもそれぞれの「語り」がきっとあるはずです。
この企画を立ち上げてくれたつばきくんには感謝ですね。
あなたに会えて
さて、ここで冒頭で引用した一節を見ていただきまして、気づいた人もたぶんいてくれるはず。
ここで引用したのは、ときメモ2のED「あなたに会えて」の歌詞です。
(この記事のタイトルも)
あんまり深い意味はありません。
単に田村ゆかりさんという声優を知った「出会い」が、ときメモ2だったというだけです。
ただ、正直なことをいうと、私はときメモ2のキャラでは陽ノ下光が推しだったので、田村ゆかりさん演ずる伊集院メイは特に思い入れもなく。
その名前を知ってから十数年、田村ゆかりさんの存在は、「声と名前は知ってる」程度のものでした。
だめにんげん、ゆかり王国へ行く
たぶんヒマだったんですよね。
社会人になって数年が経ち、仕事にも慣れて金銭的にも時間的にもある程度余裕ができた。
とはいえ大学生の頃、00年代前半~中盤のエロゲ全盛期だったあの頃のようにダラダラとエロゲする気にもならず、なんとなく時間を持て余してたように思います。
当時ニコニコに上がってた、例のミリオン動画。2012~13年あたりに入国した人は、だいたい通った道なんじゃないかと思いますが、私もご多分に漏れずあの動画がきっかけでした。
あの動画は、たくさんの人にとって「入口」になるものでした。
キミに決めたんだ
ライブで歌う田村ゆかりさんは、キラキラしていて、まさに輝くような存在。
王国民のコールは統率されていて、想いを声に出していくのは本当に楽しい。
でも、そこからこの人だって確信する「瞬間」、この人を追いかけていきたいと思う「瞬間」って、けっこう飛躍があると思うんです。
私はその「瞬間」から、
この人が思いを遂げ、この人が成すことをすべて見ていきたい。
自分が少しでもその支えになりたい。
そう思うようになっていきました。
もちろん、その「瞬間」にすべてが始まったわけではなく、それもまた一つの始まりだったわけですが。
その「瞬間」は、確かにあったのでした。
瞬間
話は遡って、ヒマを持て余していた私が、ミリオン動画をきっかけに軽いノリで2012年のFiL愛知公演に行くことを決心し、ライブを翌日に控えた日のことです。
たぶん私は、あなどっていたんだと思います。
アイドル声優なんて演技なんて腰掛けで、まあお歌が歌えて仕事もらってるんじゃない?なんて。
それはなんてことのないYouTubeの動画でした。
ニッポン放送の映像付きインターネット配信を違法アップしたものでした。
田村ゆかりさんは、あえてそのようにしていたんだと思いますが、ちょっとツンケンしたキャラっぽく、あえて「外す」ような受け答えしていました。
話は声優としての演技の話題に。
「私はあんまり演技プランとか決めないかな」
あいかわらずツンモードだなぁw
「事前に準備しとかないと難しくないですか?」とたたみかけられると
「お芝居は一人で作っていくものじゃない」
「自分の演技ばかりだと、独りよがりでかみ合わなくなっちゃう」
そのときは、「ふーん」ってなもんで、「この人も演技のこととかちゃんと考えてるんだな~」程度の感想でした。
その後も、田村ゆかりさん関連の動画をポチポチ探していきました。
なにやらNHKラジオでのインタビューに行きつきます。
初の武道館ライブChelsea Girlの後、2009年頃と思しき対談形式のインタビューでした。
田村ゆかりさんの私生活から、声優の仕事について、そしてその半生を語るインタビューです。
田村ゆかりさん自身も、先ほどの動画のようなふざけた感じはなく、いわゆる「外交モード」なインタビューでした。
※「声優ばなし 田村ゆかりさん」で検索すると出てくる
このインタビューでも「台本に読み込むか?」という話題に話が及びます。
(田村さんは収録前に台本を読み込むようにしていますか?)
あまり読み込まないようにしています。
お芝居は一人で作っていくものじゃないと思うんですよ。
あまり読み込んで、他の役者さんとお芝居をしていくときにかみ合わないようになってしまうのがイヤなんですね。自分の自己満足のお芝居をして。
だからあまり読み込まないようにしています。
(ということは、現場でいろいろ調整される)
そうですね、舞台のお芝居とかと違って、何度も何度も事前に練習とかしないんですね。アニメのアフレコっていうのは。
なので、その収録のときにいきなりみんな本気でお芝居をするんですけども。
ちょっと変な言い方かもしれないですが、その瞬間を生きているっていうか、そういう感じですね。
あの時と、外してるときとマジのときと、それぞれまったく同じことを言ってるっていうのが驚きだったんですよね。
あのとき、田村ゆかりさんという人に焦がれたんだ
自身の声がコンプレックスだった子どもの頃。
国語の時間、朗読を褒められて嬉しかったこと。自分の声が自信になったこと。
中高で演劇部でお芝居することが楽しかったこと。
就職しても、お芝居することの楽しさをあきらめきれず、養成所に通い、覚悟を持って上京したこと。
たぶん、インタビューでのその半生の語りが前フリのようになったんでしょう。
田村ゆかりさんの芝居というものへの確たるスタンスを感じたんです。
私自身、社会人になって数年が経ち、仕事にも余裕が出てきたころ。
田村ゆかりさんへの芝居という仕事への確たるスタンスが、そのひたむきさが、私にとっての尊敬になった「瞬間」でした。
たぶん、それもまたきっかけだったんだと思います。
この「瞬間」だけでは、ここまで追いかけるまでには至らなかったでしょう。
そこから、ライブドキュメントを含む多くの映像作品、インタビューを読んでいけば、そのひたむきさに引き込まれていくのでした。
そこにあったものって、やっぱ「人柄」なんですよね。
ここまで全力で、私がなにを追いかけてきたのか。
なにがそうさせたのか。
それは、「人柄」に焦がれてきたんだと思います。
田村ゆかりさんの「人柄」に焦がれ、憧れ。
私はこれからも、その姿をずっと見ていたいと、そう思うのです。
それでも想いが響きあう
最初は普通にアコステツアーの感想を書こうと思っていたんですが、札幌公演中止の報せとともにいろいろ思うところもあり、書き残すことにしました。しばしお付き合いください。
いつかまた君にあえたら
Soundropsツアーのセトリ1曲目は「Never Let You Go」でした。
前座の風の香りと太陽さんがはけた後、幕が上がって登場したステージセット。
正直なことを言えば、アコースティックという言葉からは、いつものアコステパートのシンプルな構成を想像していた…というか思い込んでいたのでした。
「いつもと同じ "マジ" のやつじゃん…」
そうなればこちらも "マジ" で相対せねばなりません。2回最後列の立ち見ということもあり、全力でペンラを振り、全力で跳ばせていただきました。
「楽しい!」という気持ちが、少しでもゆかりんに伝わっていたらいいな…。
「Never Let You Go」は、「あいことば。」の発売後、生歌は初披露となりました。
この曲が1曲目にあること、すなわち(前座のかおりさんは置いておくとして)この曲がAFT以来のゆかりんとの邂逅であったことには、思いを至らせずにいられません。
「いつかまた君にあえたら」
コロナ禍で、出会いというものはそういうものになってしまったような気がします。
コロナ禍前なら確証があったわけではないにせよ、「いつかまたきっと会える」という想いは、ある種の「願い」や「祈り」のようなものに変質していったように思うのです。
この空のもとで、ゆかりんと生きてく
Soundropsでは幕間映像も印象的でした。
これまで恋愛をモチーフにしたものが多かった中で、ナレーションによる語りを中心に、「うれしい音」「悲しい音」などの感情とともにある「音」や「ただいまの音」「おかえりの音」など人々の生活の中にある「音」、すなわちゆかりんと社会や生活の中にある様々な「音」モチーフとした映像は、これまでにはなかった構成でした。
なかでも「私から出る音」という言葉と、雨降る街中を歩くゆかりんの映像が印象に残っています。
音というもの。
それは生きていることそのものでもあります。
喜びも悲しみも、たくさんの音が寄り集まって響きあう。
ときどきうまくいかないこともあるけれど、そうやって私たちは生きて、社会というものをかたち作っていく。
この同じ空のもとで、私たちもゆかりんも生きてく。
そういうことを考えてしまうような映像でした。
私たちのレゾンデートル(存在理由)
ツアーの千秋楽である札幌公演は中止となってしまいました。
中止となってしまったこと、特に参加予定だった方々のことを思うと、本当に残念でなりません。
病を患うこと、自分の体が思うようにならないこと。
抗しがたいものに組み伏せられるようなその悔しさは、想像をすると私自身も叫びだしてしまいそうになります。
それでも、「少しずつですが回復していますので安心してください」という言葉には、心配する私たち王国民への気遣いを感じずにはいられません。
ゆかりんにとって王国民というのは、どういう存在なんだろうと思うことがあります。
それと同時に、私たちにとってゆかりんは、どういう存在なんだろうと思うことがあります。
日常の中でゆかりんの曲を聴いて、ラジオでゆかりんのトークを聴いて、ステージ上で輝くゆかりんをみて、元気になったり、ちょっと頑張ってみようって思ったり、楽しいなうれしいなって思ったり、そうやってゆかりんのおかげで生きていこうって思うこと。
多くの王国民が、そういう経験を持つんじゃないでしょうか。
私たちにとって田村ゆかりさんは、優しくありたい人、ずっと大事にする人に他なりません。
ファンのみなさん、スタッフさん、そしてバンドメンバーのみんな。
たくさんのあたたかい言葉をありがとうございます。
約束を守れなかった私なのに。。
こんな時ではありますが、みなさんがいてくれることが幸せで、
みなさんの優しさが、私の宝物だなぁと感じています。
ほんとうにありがとう。
私たちの想いが伝わっていること、宝物だと感じてもらえること。
それがなにより嬉しく、私は常にそういう存在でありたいと思うのです。
みんなは、ゆかりの大事な宝物です。
私たちのレゾンデートル。
それは、ゆかりんが私たちのことを宝物だと思っていてくれること。
ゆかりんが私たちにレゾンデートルを見出してくれることこそが、私たちのレゾンデートルになっているんじゃないでしょうか。
声は出せなくとも
声は出せない世の中になってしまいました。
声は出せなくても、それでもきっと言葉は伝わる。想いは響きあっている。
それが私たちのあいことば。
答え合わせは、きっと大丈夫。